この世の中、政治家に対して、多くのマスコミが使う言葉の
なかで、「親しみやすさ」「庶民的感覚」「主婦の視線で・・」
など政治家とは、庶民と同じ視線、金銭感覚が求められいると
耳にタコができるほど聞かされてきた・・・。

本当に、政治家(政治屋)に、庶民的感覚とやらを
我々は求めているのか?

全国の都道府県の議員、国会議員(代議士)は、それぞれ
改選が行われ、当選すれば、バッチをつけ、威張りくさり
権力と、議員の特権を生かし、やりたい放題・・・
人間なんて、世の中に対して、不平不満を持ち、世の中の
不条理に対し憤りを感じる度に、権力者や特権階級に対する
妬みや僻みを抱くモノ・・・

だけど、総理大臣だろうと、一代議士であろうと、それが
どこの都道府県の議員であろうと、あいつは、高級時計を
身につけている、オーダーメイドの背広を着ている
あいつは、金持ちのぼんぼんで、料亭や、ホテルのバーで
高い酒を飲んでいる・・・だから・・あいつは政治家として
庶民的感覚など持ち合わせず、単なる「政治家」でしかない
・・・云々

            やかましい!!


庶民的感覚とやらの政治活動って何だ!!

これだから、マスコミの各記事は嫌になる。何でもかんでも
「庶民的感覚」「庶民の味方」なんて言葉を、安っぽく
安易に使っているのをみると、政治なんてモノは、庶民とか
そういう感覚のレベルではなく、もっと高度な感覚で動くモノ
決断されるモノだと云う意識が薄れてしまって、政治そのものに
対する「安っぽい」ものに見えてしまう。

これって、本当は、怖いことだと俺は思うけどな。


  
     




コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索