妄想は支持などされない。
2008年11月13日 日常戦後、敗戦国となった我が日本国は、軍国主義で
行われた全てのことを否定してきた。
そして、最近になって、ようやく明治時代~昭和の
日本の姿が再評価されつうあると思う。
だが、明治維新以後の日本が、欧米列強の仲間入り
をすべく、不平等条約等の破棄など、日本国内の
インフラ整備の充実ばかりに目がいき、肝心の国民
の意識の根底にある意識変革の成長もあったのか?と
言えば、現代社会のぬるい生き方をしたきた俺には
想像も付かない。
想像など出来ないが、封建制度からの脱却から明治
維新後の欧米化と、近代化が進む中で、軍隊の存在
もまた避けては通れまい。
本来であれば、近代国家建設を語る際に、避けては
通れない時代であると思われる明治時代になると
歴史的な評価が未だに定まらず、教科書などの記載や
学校教育もまた・・・曖昧になっていく現実。
当時の国際的な政治情勢と国内事情との関係で当時の
政治家(維新政府側)の意識が、内から外へ向いた
その時の歴史情勢辺りから、明治=軍国主義の始まり
みたいは主張が、ちらほらと・・。
そうした我が国の歴史的空白に対する評価をおざなりにし
旧日本軍=侵略軍と評価していれば、逆の評価が生まれる
のも当然のこと。
当然なのだが、某幕僚長の意見もまた、正当化するために
必死になって、都合の良いことだけを述べているだけで
旧日本軍は強かったんだ、と胸を張っているつもりでも
で?何が残ったんだと空しさだけが残る現代の日本の
姿を見てないと思う。
それに、某幕僚長の属していた組織である自衛隊の
情報漏洩、規律遵守の不徹底など、国防を担当する
今日に於ける平和ぼけした自衛隊(軍隊)のトップ
が言う資格などない。
右翼だの左翼だのと、分類するのは自由なんだが
大東亜構想という軍国主義が正当化されることはない。
あの戦争で我が国は全てを失い、新しい価値観を
受け入れることになった。多くの犠牲を払って
今日の日本国が作られたこと。忘れてはいけない。
行われた全てのことを否定してきた。
そして、最近になって、ようやく明治時代~昭和の
日本の姿が再評価されつうあると思う。
だが、明治維新以後の日本が、欧米列強の仲間入り
をすべく、不平等条約等の破棄など、日本国内の
インフラ整備の充実ばかりに目がいき、肝心の国民
の意識の根底にある意識変革の成長もあったのか?と
言えば、現代社会のぬるい生き方をしたきた俺には
想像も付かない。
想像など出来ないが、封建制度からの脱却から明治
維新後の欧米化と、近代化が進む中で、軍隊の存在
もまた避けては通れまい。
本来であれば、近代国家建設を語る際に、避けては
通れない時代であると思われる明治時代になると
歴史的な評価が未だに定まらず、教科書などの記載や
学校教育もまた・・・曖昧になっていく現実。
当時の国際的な政治情勢と国内事情との関係で当時の
政治家(維新政府側)の意識が、内から外へ向いた
その時の歴史情勢辺りから、明治=軍国主義の始まり
みたいは主張が、ちらほらと・・。
そうした我が国の歴史的空白に対する評価をおざなりにし
旧日本軍=侵略軍と評価していれば、逆の評価が生まれる
のも当然のこと。
当然なのだが、某幕僚長の意見もまた、正当化するために
必死になって、都合の良いことだけを述べているだけで
旧日本軍は強かったんだ、と胸を張っているつもりでも
で?何が残ったんだと空しさだけが残る現代の日本の
姿を見てないと思う。
それに、某幕僚長の属していた組織である自衛隊の
情報漏洩、規律遵守の不徹底など、国防を担当する
今日に於ける平和ぼけした自衛隊(軍隊)のトップ
が言う資格などない。
右翼だの左翼だのと、分類するのは自由なんだが
大東亜構想という軍国主義が正当化されることはない。
あの戦争で我が国は全てを失い、新しい価値観を
受け入れることになった。多くの犠牲を払って
今日の日本国が作られたこと。忘れてはいけない。
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