数年前は、比較的輸出産業も(今と比較して)
アメリカの住宅バブルによる好景気に乗って
業績が好調だった。

今にして思えば、景気の良かった頃に限って
「そんなに働くな」「もっとゆとりをもって
生きようとか」
働きすぎないように、企業側に対して労働者の
就労時間の見直しとかを求めても、収益を追求
する「企業」が、はい。判りましたと従うとは
到底思えず、結局、何が起こったかと言えば
「派遣」であったり、「サービス残業」終いには
「過労死」に至る最悪の情況を生んだだけ。

儲かるときに(儲かっているときに)そんなに
働いてどうする?もっと、ゆとりを持って余裕を
もって生きよう~等と、御上が言うには何か理由
とか、そうした「キャンペーン」を展開する背景
があったわけで・・・。

そうなると、現在の情況は、過剰設備、余剰人員の
整理が行われ、皮肉なことに、儲からないときに
なれば大企業であっても、工場のラインを止めざるを
えない情況になっていく。

つまり、生産活動を積極的に行うことは、大幅な
収益を得られるのと同時に、労働者の地位向上
権利の拡大とかを求めようとしても、そのことが
「会社」にとって、利益につながるかどうかと
考えた場合・・・多くの場合、抜け道や、代替えの
モノを用意しては、合法的な回避策が講じられる
のがオチ。

悲しいことに、世の中の流れと、その流れを無視し
止めようとする動きには何らかの意図が見え隠れし
儲かって笑いが止まらないという状態の時には
誰も何も言わないが、ひとたび、風向きが変わって
しまったときになって、初めて仕事のあることの
有り難みを知る。

求めていた「ゆとり」が、精神的なモノなのか?
それとも、物理的なものかは、別にしても
働くべき時に、わざわざ「規制」をかけてまで
制限しようとしたのだから

いかに、当時の政府が「変」だったのか?
今にして思えば、不思議な話だと思う。



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