先見性のない、計画性のない無計画な道路建設は
後々の世になって、そのしわ寄せが表面化する。
例えば、もっと道路の幅を広げようと計画をしても
地元の住人の理解が得られない(重要性)場合の
多くは頓挫し、結果的に予算を返上してしまうと・・。
車社会の到来と共に、一昔前の道路事情に合わせて
作られた道路では、車一台のすれ違い、歩行者の
安全性、周辺道路の住人にとって、好ましくない
状況になったときに、「陳情」をしようが、一回
予算計上し、予算の返上した場合・・・
その記録は、何時までも残る。
だから、この道が広ければ、しっかりとした歩道が
あれば(作られていれば)良いのにと思ったところで
実現性は低い。
そうならないためにも、本来であれば、粘り強く
必要性、計画性の意義を周辺住民に、説かねばならないが
・・・。それぞれの権利とか、感情等が入り乱れて
話がまとまらず、ご破算になっていく。
今の世の中のように、無駄遣いとか、そういったことが
話題にならない頃の話であれば、比較的良い道が出来た
と思える「ケース」が、この田舎町にも点在する。
そうしたケースで造られた道路ほど、日常生活のおいて
重要な道であったり、日常生活において、不便な道で
どうにかならないものかと、思ったりする。
本当であれば、全ての道が歩道と車道等が整備されていれば
良いと思うことも、その時々の「規格」「事情によって」
作られていることもあり、なかなかどうして、生活に
密着した道路ほど、お世辞にも良い道とは言えない道路が
多い・・。
元々人が住んでいた場所に作る場合と
人などおらず、何もない場所に造られた道路ほど
まっすぐで広めの道路が造られる。
なんだかねー
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