天とポスト。

2009年6月3日 日常
お昼の地方N○Kニュースで、県役人の再就職実態が
短い時間だったが、放送されていた。
霞ヶ関の形式が、そっくりそのまま、地方に反映され
相も変わらず、訳のわからない団体(存在意義の不問)
の整理縮小など所詮「夢物語」に過ぎないことを知る。

どんなに歳入不足になろうが、どんなに不景気になろうが
彼らには関係ない。天下りのポスト、割当、玉突き・・
それら、再就職先が斡旋されている実態を・・・と
言いたいが、一般県民からすれば、怒りを覚えることも
それら天下り団体との接点が薄いことで、一瞬の怒りで
終わってしまう。

どこぞかの野党党首(代表)様は、友愛を謳い、綺麗事を
言っていたが、官僚政治が成立し、政治家だけの力で
国政が成り立つのか?と感じる。

それに、国家公務員のシステムを根本から見直し、一から
作り直し、理想の国家像を作ろうとする気概が見えない。
ただ、官僚政治打破などと、声高々に宣言しても、本当に
そんなことが出来るのか?と多少疑問に思うことも。

また、霞ヶ関だけを見ないで、地方の現状を見ないと
たんなる受けねらいにしか映らない。

雑貨屋と薬局。

2009年6月2日 日常

一昔前の薬局といえば、規模の小さな個人経営の薬局を
指すモノだと思っていた。

しかし、ここ最近になると、大型のドラッグストアーが
片田舎にも出店し、店内に陳列された商品の多さに驚く。
そして、薬剤以外にも、菓子、雑貨、飲料水など、すでに
「薬局」としての専門店に留まらず、一部を除き大抵の
モノは手に入る。

そうした大型店のドラッグストアーが有るかと思えば
個人経営の薬局も(ひっそりと)町中に存在する。

でも、今回の法改正により、多少の混乱はあるだろうとは
思うのだが、では、今の今まで、(俺個人的に)町中に
ある小規模な個人経営の薬局で薬等を購入したことが
あったのか?と言えば・・。

風邪薬、歯磨き粉、整髪料など、おおよそ購入するモノ
殆どは、大型ドラッグストアーで購入してきたし、恐らく
販売形式が変わろうとも(分類)これからも、そうした
大型店で購入することになる。

で、法改正が(マスコミ報道によって)新聞等で知ること
なったが、施行後になって、伝統薬の販売、離島において
入手が困難になる、障害を持つ人たちの入手が困難に・・と
言った具合に、今頃になって「薬品の通販禁止」に反対
している有様で・・・。

そういう人たちの存在を知っているにもかかわらず、今の今まで
何も報道せず、問題提起すらしてこなかったマスコミって・・
何だ?

それとも、法改正後の影響を、特集としてくむために、取材に
一生懸命になっていたのか?

確かに、何気なく、そう何度も、(俺自身)ドラッグストアーへ
買い物に行くことがない人間にとって、今回の法改正にしても
大した「関心事」や「影響度」などは、さほどのことではない。

まあ、マスコミも(特にTV局)製薬メーカーがCMスポンサー
にいれば・・おいそれと、報道も出来ないのか。
そんなふうに考えれば、しょうがないよねって終わってしまう。
ふー。



インターネット上では、薬剤の通信販売等規制に反対と
HP等では知ることが出来ても、今回の販売方法の変更
に関係した報道は、前日、当日になってマスコミが報道
したことで、初めて知った。

いつでもそうだ。

従来の方法から変更されたとき、重要な法案が通過し
成立し、施行されたときになって、マスコミは報道する。
それまでは、そうした「国民生活に重大な影響」を
及ぼす報道が、されないことが多いように思う。

一旦、施行されてしまうと、その関連法案が(実情に
合わせて)改正されることは、かなり先のことになって
その間、国民に我慢を強いることになる。

こうした法案が審議されていますと、報道されれば
その法案の成立によって、我々国民生活への影響度を
「国民が」知ることが出来るのに・・・。

要は、これからは新しい販売方式になるから、多少
慣れるまで時間がかかるだろうが、早く「新方式」に
慣れるように・・と、言っているようなモノに感じる。

インターネットが生活の一部と化している人間と
そうではなく、インターネットとは縁もゆかりもない
生活を送っている人間もいる。
情報は、TV、ラジオ、新聞から得る人は、基本的に
マスコミ等が報じなければ、それ以外に知る方法が
無いに等しい。

法案が成立し、施行されて、今日から・・・と言われても
唐突に言われた感が強い。
それに、製薬会社からすれば、販売可能な薬剤等が増える
ことで、収益の増加が見込めるだろうが、今の今まで
そんな法案成立の過程など知らない人間からすると
戸惑うことばかり。

それとも、無用な混乱を避けるために、あえて、マスコミは
報道していなかったのか?むむむむ・・。


水際と感染源

2009年5月28日 日常
空港等で検疫をしたとしても、保菌者が、網をすり抜け
入国した段階で、国内での感染による大流行が始まる
わけで・・

もしかしたら、別のルートで上陸、入国したかもしれない。
そんな、素人でも考え付くことを、その道のプロが想定
できないというのは可笑しな話に思える。


だから、何処何処で感染者が居ましたと発表するだけではなく
地道な感染源の特定もまた必要になると思っても、現実問題
として、新型インフルエンザの流行が収まり、世間の感心が
薄れていくとき、その後の対策や、今回の騒動?における
関係各所、監督官庁の対応のまずさなど、後手後手に回った
ことを反省等をし、同じ轍を踏まないように生かさないと
全く意味がない。

それには、一過性の騒動で片付けずに何故国内で感染者数が
増加したのか?
冷静に、情報収集及び分析等を、関係各所等が出来るか・・・
これは教訓として生かさないと単なるインフルエンザパニック
で終わってしまう。
既に、世間の感心が薄まりつつあるように思う。

マスコミはともかく、省庁の分割案や、某詐欺事件の逮捕者が
出て混乱していたとしても、専門の部署には、しっかりと活動
を、してもらいたいものだ。



今度の選挙は、天下分け目の大決戦。

(国政全般)国防、財政、(年金等)、税制、外交・・
論ずるべきことは、幾らでもある。

それなのに、どちらの政党に政権担当能力があるかどうかに
焦点(感心)が行ってしまったので、肝心の政策論争から
互いの弱点を突くだけの「非難合戦」に終始していたように
思えた。

国会の場で、TVを意識した「討論」するのは結構なんだが
あくまでも「国民」が判断するための党首討論。

いうなれば、選挙時の「投票」における参考材料にするだけ。

もうちょっと真面目に(冷静に)党首討論をしてもらわないと
単なるアピール合戦になってしまう。

公式の場で、アピール合戦など無用。

常日頃、日曜討論(N○K)や、民放で(各党ご自慢の論客)
まとまりのない雑談会やらは、いやと言うほど見ているので
だから、公式の場において、党首討論をやる意義が生まれると
いうのに・・・まったく#

葉書とDM

2009年5月26日 日常

日常生活で、郵便受けに入っているDMを見ても
何とも思わないが、それはあくまでも、受け取る側
の感想であって、送る方からすれば、コストを
考えた場合・・少しでも安くしたいと思うのは
至極当然のこと。

しかし、本来支払うべき料金が、支払わなければ
日本郵政、総務省からすれば、大損のはずなのに
今の今まで、そうした「不正」が見過ごされてきた。

これは、大問題。

DMを受け取る側が、一体どのくらいの料金が
発生しているのか?なんて考えるはずもなく
考える必要もない。

こういう不正事件が起こると、お宅の会社はちゃんと
正規の料金で出しているの?って思われてしまう。
今回の事件では、通販会社も絡んでいるっていうから
根が深そうだ。


嘘つきは・・。

2009年5月25日 日常
政治家の嘘は、後々の政治に影響を及ぼす。
資格の有無によって、必要とされる
仕事に就職できるとかの条件があれば
人は必死になって、勉強等に励む。

でも、政治家は信任選挙で、信任されれば
政治家として歩むのだろうが・・・・。

しかし、よくもまーあ、40年間も「自称~段」
と名乗っていたものだと思う。
誰もそうだと信じてきたことが、いまになって
「すいません。自称でした」と言われても
嘘つきは・・と思ってしまう。

今の今まで、問題にならなかったのは、芸能人
として活動していて、誰もそれが「本当のこと」
なのか?噂好きの芸能関係が調査等をしていな
かったことに驚くし、選挙が終わって、今回
初めて、判明したってことも驚く。

今回、有段者なのかどうか、問題になったのは
「政治家」として、照会した結果だとしたら
それもまた、何だかなと思う。

選挙が終わり、野党側も必死になって、粗探しを
していることは、ある意味・・・政治に関ると
どんな些細なことでも、問題になってしまう怖さ
を感じる。

風と噂と。

2009年5月22日 日常
あんまりにも、役所とマスコミが騒ぐモノだから
インフルエンザ=未知なる病気が日本にも!って
感じになっている現状・・。

何処何処で、感染者が確認されました。

何処何処で、○名の感染者が・・報告されました。

関係各所及びマスコミの方々の詳細?な感染者数の
公表報道には、大変意義のあるものだと理解するが
・・・・その人数公表で、我々国民は何をすべきで
どのような対処をすべきなのか、未だに判らない。

いや、むしろ、無用な混乱を招き、社会全体の停止
を招きかねない。
あれだけ「精力的、集中的に」取り上げられれば
先入観を生まないのがおかしな話で、集会を開くな
イベントをするな、休校、休園にすれば、暇を
もてあました若者、自宅学習に勤しんでいるのか?
と思えば・・・現実的には・・・彼らの自由を奪い
拘束したところで、感染者数の「増加」に歯止めが
かかり、新薬が出来るまでの間、家に篭っていろと
言うのか?。

       何かおかしくねえ?

新型インフルエンザ報道によって、ポツポツと風評
被害が出始める。そうなると、無用な混乱を引き起こす
ような報道をすべきではないという「意識」が生まれれば
マスコミも「他のネタ」を探し始める。

そして、インフルエンザ騒動が、沈静化し、一段落を
迎えたとき・・・もし、マスクや消毒関係が過剰供給に
なれば、それはそれで、一騒動に・・・。考え過ぎか。


マスクと電波

2009年5月21日 日常

国際空港で水際作戦をしても、結局感染が広がっている。
でも・・水際作戦をしていなかったら、ぞっとする。

それにしても、マスコミの報道によって
田舎町でも店頭からマスクが無くなるんだから
インフルエンザよりも、マスコミの報道感染力
を、俺は恐ろしく思うけど。

再々編。

2009年5月20日 日常

縦割り行政の弊害是正のため、似たような行政機能を
統合し、役所の数を減らすことが、行政改革であると
思っていた時期もあった。

しかし、行政機能を一元化することは、一方で肥大化を
生み出し、多岐にわたる行政機能に対して、省庁の対応
遅れの原因を作ることになる。

機能を一元化することによって、案件に携わる公務員の
数も減り、一石二鳥に見える改革も、外から見て効率
的に見えても、行政機能が集約されただけで、結局
やることが増えただけにしか見えない。

そういう風に考えると、小泉改革とは何だったのか?
あの時の「狂乱」がアホらしくなる。と思う今日この頃。

路線と名称

2009年5月19日 日常
長野冬季オリンピック開催に合わせて、長野新幹線が
開業し、新幹線の開業と共に、在来線であった信越線は
第三セクターへ委譲された。

さて、長野新幹線は、長野と東京との区間を営業しており
長野新幹線という名称は、あくまでも長野東京間の新幹線
名称に過ぎない。

そして、北陸新幹線が金沢まで延長されることが決まった
ことにより、現在の新幹線名もまた、上越まで行き、果ては
大阪まで開通した場合には、その名称が変更されるかどうか
長野県のマスコミ(信毎)でも取り上げられることが多く
なってきた。

ところで、ある時期を境に、長野以北(上越方面)新幹線の
用地買収が容易?になり、順調に長野以北方面への建設工事
は進んでいる模様。

それも、長野県政の長年の懸案事項であった、浅川流域の
洪水対策「浅川ダム」建設に、一定の目処が立ったことで
長野以北周辺の地権者との協議会設置に、影響を及ぼした
とか・・・あくまでも噂だが・・。

いずれにせよ、通過する地方自治体との協議もまた必要となり
長野県民としては、鉄道の路線名自体に慣れてしまっている
こともあり、今更新しい名称といわれても・・ピンとこない。
ただ、某自治体と、新幹線駅の名称で「騒動」を経験したこと
もあって、こうした広範囲の路線名の決定などに、誰が
仲裁にはいるのか?

ある意味、見物だとは思う。


俺の住んでいる地域では、中部横断道路関連の工事で
あちこちの道路が姿を変えつつある。

いままで、のどかな田舎道だった道路の真上を、突如
高速道路が作られ、でっかい枠組みの下を通る道路に
なっていく。

たぶん、都会の人には、いなかにそんな無駄なものは
いらない。作る必要がないと言われるんだろうな。

実際、何のために作っているの?と尋ねられても・・
既存の道路(国道152号線?)の代わりに作られて
いるとしか聴かされておらず、必要か不必要の判断は
出来ない。

新しくICが出来、初めてJCTが出来る。

それで、その地域にどんな効果があって、発展に繋がるのか?
その地域の期待は、否が応でも膨らむ・・・。

でも、本当に地域の発展が見込めるのか?
誰も確証なんてない。ただただ、関連工事の渋滞に巻き込まれ
いったいいつ「工事」が終わるのさえ、わからない。

エコ需要。

2009年5月15日 日常

表向きは、エコロジーを謳っていても
電化製品を購入するのは、あくまでも
必要だから購入するのであって、別に
エコポイントが欲しいとか、目的で
電化製品を購入したいと思うとは
到底思えない。

いっそのこと、エコポイントなんて
遠回しに言わずに、「国民の皆さん~
電化製品の買い換えキャンペーンに
ご協力下さい」って言えばいい。

そのほうが、よっぽど、潔く見える。

確かに、ポイントが幾つもらえるからと
いうのが、対象製品の選択肢の中で
決め手になることもあるだろうが・・・。

税金が安くなる(納税額が減る)
補助金の対象となると、メリットを
前面に押し出しても、肝心なのは
「消費意欲」の回復であったり
購買層の掘り起こしなのであって
いずれにせよ、購買意欲をそそられる
商品が世の中に出てこないことには
始まらない。

つまりは、消費意欲の減退の元凶は・・・
自ずと、景気の回復にかかっていて
節約志向から、消費志向に転換させら
れるだけの「社会の安定」こそ必要
になるが・・・。

あちらは景気が良く、こちらは土砂降り
とマスコミも両極端な報道をすることで
悪い業界(会社と)良い業界(会社)の
比較をしても、全体的に不景気なのだから
結局、どーなのよって思うのは俺だけか。


それに、エネルギーとか、エコロジーを
一つの儲けにするためには、どんなに技術
があろうとも、資本があろうとも、やっぱり
その日、その時の、情勢に右往左往した末に
捻り出された「政策」では、先の展望など
見えない。

つくづく思う。この国の国益って何だって。

代替わり。

2009年5月13日 日常
民○党の党首=代表が誰になろうが知ったことではないが
あまりのも露骨な代表選出選挙を、推し進めると、旧体制
と新体制との明確な違い、現実的で清廉潔白な政治体制を
要求され、同時に前代表による「院政の始まり」などと
言われかねない。

そして、マスコミが好んで使う「クリーン」という言葉とは
似ても似つかないドロドロとした政治の存在を、マスコミを
通じて、国民が知ることにより、民○党自体のイメージダウン
にもなりかねない。

政治信念とか、政治理念などではなく、ただ単に寄らば大樹の陰
長いものには巻かれろで、その政党の姿が見えなくなったとき
あの政党の議員どもは、国民の声(支援者)を聞かずに、一体
誰の声を聞いているのか?と言われたら最後だと思う。


永田町の掟に従うか、それとも各支部(地元)の声を聞くのか?
マスコミの流す情報の信憑性、中立性には、いささか疑問が
あるものの、この未曾有の危機を乗り越えられる政党かどうか
国民だって注目する(していると思う・・・)

しかし、議員どもが、単なる「代表選出選挙」だと思っているようなら・・・。


辞める理由を問われても、来る衆議院選挙で勝利するためといい
理由を言わず、何故、辞任するのか?と聞かれても
同党の勝利のためといい、辞任に至る過程を尋ねられれば、疚しい
ことは、何もしていないと言い、では何故・・・と、説明責任と
いう言葉が空しく響く・・・。

辞任を求める声の存在と、辞任しなければならない理由が存在
するのに、金権政治の打破と声高に騒いでいた割に、現実は
野党の党首であっても、人知れずその金権政治のど真ん中にいた
ことに「今頃になって」知れ渡ったことで・・・クリーンな
政治なんて、夢物語にすぎないことも・・・。

政治的な「党利党略」を考えた場合、選挙で勝利することが
「求心力」「政治力」の影響拡大につながり、政治的な思想と
理想が混在する党内には、いくつもの派閥が存在し、派閥同士の
政治闘争の果てに、何が生まれるかといえば・・・。

それが政治。そして、金権政治。

どんなに世襲政治の打破、官僚政治の打破と言っても、金がなければ
何も出来ない。政官財のパイプがなければ、何事も進まない。

夢みたいなことを言っても、金がなければ何も出来ないことを
政治家自らが、言っているようなものだと、会見を見て思った。

おおよそ一ヶ月前に、運転免許更新のお知らせ(葉書)が
郵便で届いていた。

まず、近くの写真屋で免許更新用の写真を撮影し、その
写真を購入した後に、最寄りの警察署に出向いたが・・・
その時は、ICチップとやらの暗証番号を決めたり
視力検査を受けたり、更新用の写真の提出及び所持している
免許証に「期限」が打ち込まれただけだった。

案の定、指定された期日に再び、警察署に出向かねば
ならない・・めんどくせー(と思いつつ)
連休明けに、再び警察署へ・・・。

法務局とか、税務署、などには何度か仕事上出入りしているので
慣れているのだが・・・警察署の雰囲気には・・余り好きではない。

そして、更新指定日には(予定時刻)五分前に、到着し
一時間の講習を受けた。


最寄の警察署の玄関付近に設置してあるビデオを見て
更新完了かと思っていたこともあり、一度手続きをし
数週間後に、再び警察署に出向いて、一時間程度の
(30分ビデオ、30分講習)講習を受けなくては
ならないのは・・・なんとも。


世の中にATとMTがあり、運転免許さえ取れれば
ハッピーかといえば、そんなことはなく、むしろ
その場の交通事情、道路状況に応じた「適切な判断」
が要求されることは、日々痛感する。

アクセルとブレーキしかないATの場合は特に・・。
一瞬の判断ミスが、取り返しの付かないことに繋がると
思って運転すると、世の中が違って見えることもある。
そんな風に、講習用のビデオを見て、感じた。


黄金週間と渋滞

2009年5月8日 日常
昨日の国会中継(予算審議委員?の中継)を見ていたが
野党側の露骨な挑発に対して、与党(総理大臣、閣僚など)
側の冷静な対応は、ある意味対照的で、見ていて面白いもの
だと思ってみていた。

さて、高速道路にETCが導入されたのは、料金所の料金支払時
に発生する渋滞解消が、目的だったと思うのだが時の政府の
方針で土日祝日の高速道路通行料(条件あり)1,000円は
案の定、GW期間中には「1,000円渋滞」を引き起こすことに
なった。

こうした現象を、マスコミは面白可笑しく報道していたが
高速道路の渋滞とその様子を見ていて、あなたも「ETC」を
付けますか?と勧められても・・・あまり、有り難みを
感じない。

仮に、土日曜祝日にETCを装備し、高速道路で遠出しようものなら
何十キロという渋滞に巻き込まれるイメージが、既に刷り込まれ
てしまっているので、1,000円という好条件であろうとも
ちと冷静に考えてしまう。

冷静に考え、それでも料金所付近で、もたつき、後続車に
迷惑をかけずにすむシステムであろうとも、1,000円以前に
導入された「理由」を、素人なりに考えた場合、メリットなど
感じない。

むしろ、特別な祝日を除けば、わざわざ日帰りで遠出したいと
思える場所(観光地)の多くは、渋滞が起き、その渋滞の列に
並んでまで、どこかに行こうという気にもならない。

で、肝心の1,000円適用期間は何時までだろうか?

もし、政権が変わったときに、某野党は無料にすればいいと
大風呂敷を広げているが・・・本当に実現可能だろうか
高速道路の維持管理、高速道路網の拡張拡大は出来るのか?

1,000円適用期間が終了し、従来の料金徴収に戻ったときの
反動もそうだが、一旦味を占めた利用者からの反発を考えた
苦肉の策が今回の「1,000円」と考えたとき、通常の料金を
支払う「適応外」の利用者がいることすら、1,000円渋滞
騒動で忘れられてしまっている。

そうなると、通行料を1,000円にしても、渋滞は起こり
PAも利用者増加により、混雑することに変わりないように
思ってしまうのは俺だけか。



新聞と休み。

2009年5月7日 日常
GW連休が明けてから(終わってから)一般新聞紙の休み・・。

報道機関が一斉に休む。
確かにTVニュース番組でその日の出来事とかは
放送されるので、ホットなニュースの伝わる
速度などは、TVやインターネットに分があるとはいえ
TVニュースはあくまでも、その時間帯にしか聞けないし
インターネットにしても、ニュース(取材したマスコミ)の
出所は大手の新聞社だったり・・。

いつもの日のように、一般家庭に配られると思っていた
新聞が(前日のテレビ欄が、見慣れない広告に変わっている
時に・・明日は新聞が休みなんだと知っていても)新聞受けを
見てしまう。

なんだかんだ言って、毎朝、新聞を読んでいるので・・・

新聞配達が休みの日でも、つい、いつもの癖が出てしまう。

そして、ふと思う。

いっそのこと、GW中に休んで、GW明けに新聞を配達(販売)
したほうが・・・いいのでは?と勝手に思う俺。



前市長派の推した前地方事務所長と前県議候補者が
繰り広げた熾烈な市長選は、約1万票の差で前県議
市長候補者の勝利に終わった。

下馬評で、知名度は前県議、組織力では地方事務所長
と言う具合に、約20年に及んだ前市長への評価と
その市政の継続と継承の判断が、焦点なったように
思う。

景気のよかった頃と比べ、今の経済状況の悪化は
それまでの市の拡大路線、土木事業への依存による
反動を考えたとき、市の財政への影響を考えたときに
前市長の路線継承を認めるべきか、それとも、路線変更
を(前提とした)新市政を選択するか・・前市長の功績
を認めつつも、前市長の推した候補者に対する評価とは
別なわけで・・また、市政を任せるにあたり一県議の
年齢もまた、評価の分かれる要素にも(俺個人的には
なったきがした。

わが市には、特筆すべき(できる)観光名所などなく
ある特定のスポーツの競技会で、~市の~高校という
時くらいにしか「紹介」「宣伝効果」がないこともあり
近隣の市町村等に比べ、全国的な知名度は低い。

しかし、長野オリンピック効果によって、全てが変わった。
高速道路の開通、新幹線駅の新設、中部横断道路のルート
に乗ったことにより、中央政府とのパイプの重要性と
霞ヶ関高級官僚の影響力を、戦前、戦中、戦後と交通の
要所から外れ、辛酸を嘗め続けてきたわが市にとって
前市長の功績は認めざるを得ないところだが・・・。

市の発展から、いつしか特定の地域への配慮?と
思しき市政の傾斜は、任期後半では顕著になり始め
路線の継承への疑念が生まれるきっかけになったと
憂慮すべき事態と認識しはじめた。

そして、約20年に及んだ前市長の市政からの勇退宣言に
より、新人同士の市長選が公示、投票となった。

さて、新市長が選出され、新市政がはじまったことにより
近隣周辺の市町村との関係がどうなるか?
長年の懸案事項の問題解決、古い世代と新しい価値観の
世代との確執など・・新路線と言うものがどういう風に
目に見えた形として、出てくるのかさえ判らない。

いや、希望とか安心感よりも、むしろ不安な気持ちのほうが
大きい。形はでかくなったがわが市も、いろいろな問題を
抱えているからな。





日頃、空港の検疫官の数が少ないと言われ続けていた時
世界的な疫病流行の兆しが見え始めると、大抵の場合
マスコミの報道がその話題一色になる。

現状を訴え、その後・・検疫官の増員等などの
具体的な問題解決のために、厚生労働省は、今の今まで
何をしていたのか?

そして、一度感染者の報告が上がると、マスコミは
大挙して、感染者の関係先に取材に行く。

確かに、感染者の報道も大事だと思うのだが・・

一般市民の出来ることと言えば、マスクをして
帰宅時には、うがいと手あらをする。
それくらいしかない。

また、帰国した時期と、厚生労働省の「検疫」を
開始した時期との「時差」の説明のシーンを見ていて
マスコミも「野暮な質問」をするものだと思った。

質問の意図は、厚生労働省の責任を問いたいのかと?
俺は勘ぐってしまった。
そして、関係官庁の不手際と大臣の説明不足の追求を
するつもりなら・・・後にしてくれって言いたい。
今はそんなときではないはず。

(情報操作などを疑い→厚生労働省の発表する情報の
信憑性を疑い→マスコミが必要以上に煽る。
国会では、野党が与党の政治運営を非難する。以下ループ)

そんなことは、新型インフルエンザの流行が収まり
混乱が一段落して、問題解決を考えるときにすればいい。

もっとも、俺みたいな素人が、マスコミ報道を見て(鵜呑みして)
喚いたところで、現状の問題解決の役にも立てない。

ただ、この国の役人のトップと、現場で働く役人との意識と
現状認識の「甘さ」には呆れる。
いくら厚生労働大臣が、顔を真っ赤にしてテレビの前で
マスコミ対応をしていても、肝心の現場が、大混乱に
陥っているように思えてならない。

マスコミは、散々煽っておいて、どういう経路で感染者が
発生したのかとか、国民の不安を払拭させるような
報道がされない限り、結局、何がどうなっているのかさえ
伝わりはしない。

で、マスコミは犯人捜しに躍起になる。犯人は何処に
いるかって・・。


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