赤字とベッド

2009年3月30日 日常
千葉県の銚子市長のリコール成立の過程を見ていて
最近の病院経営と、県市町村のあり方が問われる
時代になったのだと、深く考えさせられた。

俺の住んでいる地域でも、某厚生連の病院機能移転
問題が起こり、市立病院との競合問題が浮き彫りに
なって、行政側との事前協議もないままに、移転地域の
用地確保がされていたが、発覚するや、行政と病院との
対立が深刻になった。

解決の糸口がつかめぬまま、問題が長期がする様相を
呈したとき、問題の深刻さを?見かねた県知事が双方に
和議を提案し、紆余曲折の末、一応の「問題解決」と
なったが・・・。

俺の住んでいる地域の話は、あくまでも、移転問題であり
医師の不足、病院のベッド数の不足、赤字経営による
病院の閉鎖問題は、県内でも深刻な問題になりつつある。

大抵の場合、医師不足=病院経営の赤字体質はやむをえない
と、諦めムードになりがちで、そうした一連の中で
緊急患者のたらいまわし問題も起こり、問題の本質なんだ?
と考えたとき・・・

一つにシステムを変えることで、国民生活に影響を与える
ことを省みない役人がいること。

でも、それを支持し、実現するためには「政治家」がいるわけで
一体誰の責任を問えばいいのか?誰にも分からない。

結局、そこへ行き着く。嫌な世の中になったものである。

都市部の事情は知らないが、地方都市の役場の
所在地は、その地域の町の中にあることが
多い。

一見すると、当然のように思えるのだが、現実
問題として、交通の利便性を考慮に入れたとき
公共の交通施設のそばにあったほうが便利で
なおかつ、耐震性を考えたとき・・・

病院とか、警察、消防・・・そして役場の耐震性
は言うまでもなく・・・

例え、市町村合併で統合しようが、支所として
残されるとしたら、地域の事情、利便性を考えても
耐震性は重要に思う。

何故、唐突にこんな事を書くのかと言えば、俺の
住んでいる地域に隣接する自治体の役場が耐震性
に問題があり、耐震工事を施す場合にかかる
費用と、移転(一時的)に必要となる場合の費用
を比較した場合(新築するためには住民の理解
が必要なため)明らかに、お目当ての場所に移転
したほうが安上がりであると、公言している。

          ?

だが、お目当ての場所には、公共の施設があり
その施設のなかにいる団体が、別の場所に移転
する必要がある。

・・・

その団体は、現在の役場を取り壊し、新たな建物を
建設しようかと検討しているらしい。

何でもっと早く、「やむを得ない事情」とやらを
地域住民に説明し、意見を求めようとしないのか?

俺はそうしたローカルニュースを聞く度に、結局
お役人(御上)と、その団体の話し合いだけで
事が進み、最後に最後に(おおかた話が決まってから)
住民に対して説明をして、合意を得ようとしているように
しか見えない。

そして、反対され、紛糾し、結局進展しないまま
無駄な時間だけが過ぎていく。大抵はこのパターンになる。

確かに、その地域の役場は、老朽化が激しく、周囲の役場
と比べても、損傷が著しい。
でも、「移転」となると、関係する団体等の移転も必要となり
一大プロジェクトの様相を呈してくる。

でも、あんまりにも安易で、安上がりな「移転案」に思え
地域住民にとって、本当の意味での「住民サービス」を
考えているのかなって?って俺は隣の自治体の住民に
過ぎないので、直接関係はない。

しかし・・・安直すぎないか?あまりにも。



日陰の梅木

2009年3月26日 日常

寒さが和らいだと言っても、風は冷たい。
でも、その風も厳冬期よりは、いくぶん
暖かく感じる。

俺の住んでいる田舎町でも、陽気が春っ
ぽくなり、ようやく梅が咲き始めてきた。

隣近所の梅が咲き始めても、老木ゆえに
花が咲くかどうかも判らず、そのうえ
日当たりが悪く、風通しの悪いので
アブラムシがつきやすい。

消毒を怠ったことにより、葉っぱが
くしゃくしゃに・・ああ(ため息)

いいよなー、暖かい日だまりの中、梅が
咲く風景。俺の憧れ。

景気が良かった頃、慢性的な人不足を解消するため
日本人に混じって、多くの外国人労働者が雇用され
それに乗するかのように、合法、非合法の外国籍の
男女が、田舎町でも見かけることがあった。

いまでも、その名残をみることはあるが、以前の程では
ではない。立場の弱い労働者から、解雇されるのだから
当然、彼らの就労の機会も減って、現在では日本人の
(正社員)雇用確保が、厳しい状況。

そんな、今昔物語を思い出すこともある。

だが、何も工場勤務だけが就労でないと考えたとき
一頃、長野県の一部地域の地名が外国人(女性)の不法
就労の有名どころであることを知ったとき、俺は正直
衝撃を覚えた。

その場所は、定期的に入管の「がさ入れ」が行われ
当時、何人もの不法就労の外国人が検挙されていた。
もちろん、そうした場所へ外国籍の女性を斡旋する
「ブローカー」の暗躍も、囁かれていた。

でも・・・結局は、下っ端の検挙止まり。

そして、目を反らしがちな現実がある反面
高原野菜の人手不足に、一定の効果を見せた雇用もあった。

でも・・・過酷な労働、賃金の問題、雇用主とのトラブル。

安易に労働力を求めた結果、色々なものを生み出す現実。
当然、それは人間が欲望を満たすために作り出したシステム。

俺たちの知り得る情報は、ほんの僅かなもの。ごく一部。
彼らとは分かり合える日も来るだろうが、同情すべきところも
我々が反省すべき事もある。

だが、法は守るものであり、違法なことは見過ごすことは
出来ないが・・・だれもそれを、彼らに対して(面と向かって)
言えるほど勇気を持っていない。それもまた現実。






箱物と力。

2009年3月24日 日常
政治家の評価は、TVに映った回数や、マスコミの露出の
度合いで決まるわけではなく、むしろ、いかに地元に利益
を生み出すものを、持ってこられるか・・。

権力の中枢にいて、多種多様なパイプを持ち
地元の要望、要請に対して、関係官庁に働きかけが
出来るかどうか。

例えば、新幹線や高速道路や空港・・・ダム工事など

一大プロジェクトを持ってくることで、関係する団体
会社等に利益をもたらすこと。

そうした「力」があるかどうかで、地元における
「代議士」の存在は変わる。

ただし、そうした一大プロジェクトによって出来た「箱物」が
本当に地元経済にとって、有意義なものかどうか?
検討する以前に、銭儲けに走った結果が、どのように転ぼうが
誰も責任は取らない。

本来であれば、徹底的に検討し、必要か、無駄な出費なのかと
討議すべきだが、検討期間が長ければ長いほど、時が流れ
時代が変わり、価値観が変わり、世代が変わり、需要も変わる。

だから、そんなに慎重になるほどものであれば、地元にとって
必要なものかどうか、判断に困らないだろうと思うが
案外、完成した後になって、なんて無駄なものを造ったのかと
思うこともある。

いずれにせよ、地域バランスとか、代替え施設なんていう
ものは・・本当に必要なものが造られる保証なんて
ありはしない。

俺はそう思う。

ETC

2009年3月23日 日常

ETCというものの存在は、以前から知っていたものの
いざ、導入となると、それを購入して元を取るだけの
使用頻度があるかどうか考える。

でも、普及させようと思えば、(一定の条件を設けて)
飴を用意しなければならない。
そうでなければ、購買意欲などかき立てられないから。

だが、飴を用意し、普及を図ったつもりが、想定外の
混乱が生じ、当初の目的が達成されたとしても
飴を用意する以前に、目先の経済状況を克服するために
導入されたシステムであることは、誰の目にも明らか。

ETCというシステムを国民に理解させ、その利点、導入に
至るまでの過程など、周知徹底させてこなかったことで
ETCの購入=すぐに使えるという「早合点」からくる
トラブルのツケは、御上にではなく、販売店に向けられ
販売店に対する信頼問題へと発展しかねず、単純に
便利ですから、お得ですからと、甘い言葉をかけておいて
いざ、導入となったときに「想定外の反響」からくる
トラブル対処に慌てふためく。

誰だって、(一定の条件)現行より料金が下がり
システムの導入によって、メリットを受けられると考えれば
何はともあれ、一刻も早く、殺到するのは当たり前。

そんな「心理」すら理解せず、ほれ、下げたぞ、このシステムを
導入しろと言われても、監督官庁、製造メーカー、関連業界
の連携が問われるときに、品不足です?・・・・。
あまりにも、お粗末。

なにをやっとるんだ?って思うのは、高速道路の利用など
滅多にしないドライバーでなくても感じることではないのかな
って思う今日この頃。


消毒

2009年3月19日 日常

今日は、非常に暖かく、長野でも日中の気温が
20℃になるらしい。

そうなると、本来の陽気であれば、自宅の梅の
消毒をする「時期」であったものが・・・

この陽気では、既に「遅い」感じ。

ああやだやだ、葉っぱがくしゃくしゃになった
状態を見ることになる。

もっと早めにすべきだった。
でも、仕事の繁忙期と重なって、消毒をする
時機を逸してしまった。

でも・・・今からでも遅くないかな。

薪ストーブ

2009年3月18日 日常

最近のニュース番組(地元のローカルニュース)を
見ていると、林業関係の話題が増えているような
気がする。

去年の化石燃料の高騰により、代替え燃料として
「蒔ストーブ」に関心が集まり、荒廃した山林の
再生のヒントとして、(売り物にならない)捨て
られた材木に、注目が集まっている。

当然、生木では「薪用」としては、適さないので
一定期間の乾燥を要するが、林業において売り物
としての基準に満たさない材木は、今まで捨てられて
いたらしい・・・

だが、一時期の異常なまでの高騰が収まったとはいえ
荒れるがままになっていた山林の活用という意味で
かすかな「光」が見えてきた。(と思いたい)

今まで、赤字体質で、国産の木材=コスト高で
商売にならない業種において、県内林業の保護という
「名目」で導入された「森林税」とやらの真価が
問われはじめている。

電気があり、ガスがあり、それらの燃料の影になり
今まで、全く見向きもされなかった薪ストーブへの
注目によって、今度は、導入時のコストとか
メリット、デメリット等のシビアな問題も当然
出てくる。

注目を集めることになった燃料高騰にしても
遙々産油国から、タンカーによって運ばれている
現状を考えれば、「多少の」高騰は納得できる。

だが、今の今まで、林業の再生という意味で
積極的な提言がされてこなかったことは
国内林業の衰退=山林の荒廃を招くことになり
それが、山林に生息する野生動物の生態系にも
影響を及ぼすのだから・・・

本来であれば、林野庁という組織の存在もまた
注目されるべき・・でも・・。
自然保護もまた、裏を返せば、植林と伐採の
繰り返しの中で、培われていくモノ。
そのどちらのバランスが崩れたとき、自然保護
なんていう「ロマン」なんて、忘れられてしまう
のも致し方ないことかも知れない。

俺の住んでいる地域は、野党第一党(某○主党)の最高顧問の
お膝元(っていうより勢力圏内)。

それは、元々自○党の元首相の七奉行の一人が、離党し
現在の党に(新進党→自由党→民○党)落ち着いたことで
旧自○党の支持基盤が、そっくりそのまま野党に変わった
土地柄なので、現在の与党は・・・影が薄い。

そんなこともあって、昨今のねじれ国会の影響と、マスコミの
麻生叩きの影響?もあって、一部マスコミで報じられているように
従来からの党首と地域の代議士とのツーショットポスターを
見ることはない。

変わりに、何故か?群馬選出の元某首相の二世議員とのツー
ショット写真が貼り付けてある・・・
(どう考えても、おかしいだろう?って思う俺)

もっとも、そうしたイメージ戦略よりも、常日頃からの(地道に)
草の根運動を(精力的に)有権者に対して、アピールをしていない
候補者に支持が集まるとは思えない。

で、何故、その最高顧問に「支持」が集まっているかと言えば
先代の代議士の恩義があるとか・・。
当然、最高顧問も二世議員で、三世も参議院の議員。
いずれは、衆議院に鞍替えするんだろうとは思うが・・・。

なんだかなーって思うのは、俺だけか。

俺の住んでいる地域では、合併に伴い、一つの問題が
未解決のまま、市長選、市議会選挙が行われようと
している。

人が生きている以上、ゴミ処理の問題は避けては通れず
地域の事情により、隣接の自治体は、ゴミ処理場を持つ
我が地域にゴミを持ち込み(委託し)結果的にそれぞれ
の地域で発生したゴミを処理している現実。

当然、委託する自治体は、委託料を支払い(長年のしがらみ
を超越した相互協力体制の構築により)ゴミ処理が
されているが・・。

ただし、近隣の自治体にも、地域特有の「事情」があるようで
全国的に知名度の高い避暑地である「自治体」の場合。
避暑地という場所柄、ゴミの焼却施設など建設できようもなく
ましてや夏場に出されるゴミを処理することは、事実上不可能
に近い。

よって、焼却施設の稼働など無理な話で、そうすると近隣の
自治体に委託し、その手数料を払っているとか・・。

また、別の隣接した自治体では、飲み水の水源地が存在し
最近行われた改選の焦点が「ゴミ処理場の建設」の是非で
あったことから、地域住民の「安全」と推進派の敗北も
あって、その地域のゴミ処理は・・・NO!

そして、別の隣接した自治体では、ゴミ処理のための「たぎり」
の受け入れが限界に達するとかの噂が流れ、そのゴミも・・
いずれは・・・。

そうした様々な事情が存在していた近隣の自治体との関係も
約20年間にわたり、市長を務めていた人物が勇退し、新たな
首長が選ばれることで、どのような変化が起こるか?
まだまだ判らない。

そして、周辺の自治体からのゴミを受け入れ、ゴミ処理施設の
老朽化という問題もあり、いずれは、新たな場所を選定を
しないといけない。

でも・・・何処に造りましょうか。さて、どうなることやら。

人材育成と適性

2009年3月13日 日常
一つの産業で、人員整理が行われて、余剰労働力が発生したとき
その余剰労働力を、何処に配分すべきかと考えたとき・・・

農業とか、林業とか、介護など、3Kと呼ばれる職業へ振り分け
ようとする、安易な考えと動きが見られる。

しかし、この世に存在する職業の多くに共通することは、技術
長年の経験、そして、適性とか「根気」が必要であるのと同時に
将来性があるのか?その仕事に就く上で、どのくらいの収入が
得られるのか?など、夢とか希望以前の「現実」が待ちかまえ
いる。

だから、人員整理によって、職を失った人々に新たなる職を
見つけやすくするシステムや、能力を開発する場所の提供を
すべきところだが、案外、そうした場所の役割などの広報が
積極的でないこともあって、知名度、認識度が高くない。

だけど、そうした場所で訓練しないと、現場の即戦力として
雇用される条件すらクリアーできないかもしれない。
つまり、そうした専門的な能力を持つためには、「時間」と
「労力」と「資金」を要し、人材育成とは非常に手間の
かかること。

その手間を省き、単純作業等の雇用で、雇用創出なんていうのは
一見、雇用主、労働側、双方にとって、都合の良い関係に見えるが
長い目で見たとき、会社にとって必要かどうかの判断基準が単なる
頭数を揃えるだけであれば、雇用主は人員整理に何の躊躇もなく
切る。

そんなときに、今までの農業や、林業、社会保険制度(介護)
に関して、国がどのようなビジョンを持ち、重要課題として
取り組んできたのか?
その成果(結果)が今になって、社会問題として表面化し
その問題に対して、どのように対処すべきか、問題が山積。

与党も野党も、全ての事柄が関連して、この世界が動いて
いることを考えずに、やみくもに予算を組んだところで
本当の意味で、成果が出るかどうか・・・怪しいモノだ。



景気の良い頃は、互いに良好な関係であっても
一度、打ち出の小槌(献金)の調子が悪くなれば
金の切れ目が縁の切れ目で・・・。

金づるも、考えるようになる。

そして・・。

正に、一寸先は闇。

金をもらって、献金した相手の要求に応えるべく
何からの便宜を図るだろうと、世の中の人間は
考える。

でなければ、権力者に献金する意味など無い。
考えようによっては、善意の献金だと捉える
人間もいるかも知れない。

でも・・・綺麗事が通じるか?って俺は思う。

車とカタログ。

2009年3月10日 日常
車を買い換えたいと思っても、5ナンバーと3ナンバーの
自動車税の違いを考えたり、保険がどうなるだろうかと
考えたり・・・。

そんな現実から、逃避しようと、車のショールームに
出向けば、薄汚い格好のおっさん(俺)も一瞬だけ
現実逃避・・。

でも、展示車両の「車両価格」をみて、分割・・云々の
表示を見ると、現実に戻される。

そんなとき、試乗してみて、俺もいつかはこんな車を!と
おもって、カタログをもらってきては、どーだろう?と
また、思い悩む。

しかし、結局、なんちゃって四駆を乗り続けることに
何の変化も起こらない現実。
マスコミは、献金をする意味を問わずに
どこからの献金で、個人なのか、政党なのかの
「入り口」で、今回の件を論じているが・・

長野県で田中知事が誕生した時、幾つもの
ダム工事の建設を、前提とした計画が進んで
いた実態を知らされた。

だが、なぜ、ダム建設が多いのか?
なぜ、ダム工事を必要とし、必要とされてい
たのか?

そして、結局、そうした「利権」の話も
うやむやになった。

モノを作りには、金が必要となり、そのものが
一地域の力では作れない代物だとしたら
当然、国からの援助(補助金等)を当てにし
少しでも、官公庁の役人に対して、顔の利く
政治家、取り巻きに接近を図る。

そんなことは、政治に疎い俺にだって判る。

それなのに、何故かマスコミは、入り口付近で
モタモタしている。

そういえば、某T○Sの朝の番組で、田中金権政治
の糾弾記事を書いた人物が、面白いことを言っていた。
「マスコミは、そうしたこと(疑惑、疑獄)関係の
噂話など(真相はともかく)既に知っていて
何かのきっかけに、そうした情報を記事にすると。」

つまり、記事のネタはすでにあるけど、記事にする
機会がない限り、世間一般に対して、スクープ記事を
世に出せないと言うことなんだなと、ある意味。
怖い世界だなと思った。


過疎と給付金

2009年3月6日 日常
定額給付金の支給準備の進捗度を見ていると
皮肉なモノで、規模の大きい自治体ほど遅く
規模が小さい自治体ほど(比較的に)早い。

しかし、給付対象となる住民の年齢構成も
ここにきて、問題を浮き彫りになってきた。
現金支給か、振込支給か、いずれの方法も
本人確認を要し、行政側の効率の悪さだけが
目に付く。

今の今まで、「給付金」等という形で、国民に
「ばらまき」などされてこなかったことも
あって、議論を呼ぶきっかけになったが、給付
金というシステムが、今回だけなのか?
それとも、継続されて確立されるのかどうか?
興味深い。しかし、給付金を受け取って「さもしい」
などと、言われない世の中になって欲しいのは
俺だけだろうか。

しかし、非難の対象となっていた「給付金」問題も
予算が通り、執行されたら、マスコミの関心は
俄然、あの問題へと・・・。

支援者と縁故。

2009年3月4日 日常
俺の生まれる以前から、県政に携わり
日本の一県知事として政務についていた
人物が、オリンピック招致、開催後に
それら偉業を「花道」とし、勇退したとき
一騒動が起きる。

      禅譲か、革新か

一体何十年県政に身を置いていたのかさえ
判らぬほど、どっぷりと政治の世界にいた
今は亡き元知事。

勇退後、当たり前のように、後継者選びが
行われたが、結局、選挙が行われ、著名な
作家が県知事に就任することになった。

だが・・・過去との決別など出来るはずもなく

型破りな政治手法と、脈々と続いてきた土建政治
は相容れず、就任前から「着工前提」工事の多くが
中止の憂き目をみると・・・建設予定地の
地権者の反発、中央政府の混乱と、鳴りを潜めていた
「県会議員他」との逆襲を呼ぶ。

そして、知事VS議会といった構図で、摩擦が起こり
衝突をはじめる。

そして、当時のダム無し宣言は、かなりの反響を
呼び、現実を直視しない「単なる理想主義」だと
言われたこともあったが・・・

今となって考えれば、先見的な発想だったんだなと
思う。

ただ、当時の議会と知事が、何かと衝突する場面を
地元新聞紙やTVなどで見ていたこともあり、もう少し
平和的に(根回しとか)運営できないものか?と
多少なりとも、政治家としての「能力」に疑問を
抱く理由になった。

そして、~代長野県知事に就任したのが・・今の
知事。

頭の回転が速く、弁が利き、討論では田舎の県会議員
などでは、太刀打ちできないことが判っていても
「平和的な県政」を望んだ?県民によって現在の
知事が当選したが・・・

就任当初、国会議員当時からの秘書を、県職員として
採用するという行為に対し、一悶着が起きた。

そして、数年後、今回の悲劇が起こった。

で・・某野党の党首(代表)の公設秘書逮捕の報道に
すっかり隠れてしまったが・・・。

さて、どうなる? 国会の方ではなく、県政への影響を
俺は心配になっているのだが。

調子の波

2009年3月3日 日常
マスゴミどもめ!

本戦前の練習試合で、本調子が出ない
某メジャーリーガーの不調ぶりを
こぞって書いている。

いいじゃねえの、WBCっていう
「イベント」にどのくらいの価値が
あるのか?

正直、わからないのだから
無用なプレッシャーを与えるなつーの。

マスコミが、勝って当たり前と決めつけて
良い結果が出た記憶なんてありゃしない。
むしろ、負けてもしょうがないと
開き直った方がいいじゃね?w

期待と脱力と

2009年3月2日 日常
「有能な」霞ヶ関のお役人は、失点は出世レースから
脱落することを意味するから言動等には慎重になるが

「無能な」政治家は、権力は自分が握っていて自分の
声一つで世の中が変わるモノだと思いこんでいる。
だから、当選回数を重ねるごとに怖いモノなしになって
いく。

だが・・。

人気者だともてはやされた代議士、壊し屋だと恐れられる
代議士、双方とも、政治家の本質が見えることなどない。
党の方針、派閥の事情に左右され、都合の悪いことには
箝口令。

そして、後援会等の「身内」による講演会で、話したこと
は、全てマスコミに筒抜け。

いい気になって、持論を展開すると、世界の流れ、日本の
置かれた状況が判っていないことに、周りが初めて気づく
有様。

代議士とは、常に世の中の動向に神経を尖らせ、一般人の
一歩先、二歩先・・もっと先のことを考えながら、政策を
考える「偉大な」職業だと思っていたのだが。

そんなことだから、霞ヶ関の役人に舐められる。
情けないことだ。
田舎には娯楽が少ない。娯楽が少ないから
大きな集客施設が出来ると、人が引き寄せられ
いつの間にか、商業の核が出来上がる。

しかし、ここ東信地方は、パチンコ、スロットル
関連施設が多い。夜間ともなれば、色鮮やかな
ネオンが夜空を照らす。

そうした遊戯施設と並んで?多いのが、セレモニー
施設の増加。
田舎故に、駐車スペースの確保が必要となり、郊外
へと造られることが多いセレモニーセンター。

地元新聞のおくやみ欄をみても、多くの葬儀告別式
ではセレモニーセンターで行われることが多いよう
に思う。

だが、多くの車を収容できるだけの「広さ」を
確保するためには・・・やはり資本力等が必要となり
~グループとか、○Aといった資本力のあるグルーブが
多く展開している現状。

あまり目立つ商売とは思わないが、今日もどこかで
葬儀は行われているという現実・・・。
その葬儀さえも、スケジュールが決まっていて
粛々と葬儀が進行していく。

現実とはいえ、何とも言えない気分になる。
数年前は、比較的輸出産業も(今と比較して)
アメリカの住宅バブルによる好景気に乗って
業績が好調だった。

今にして思えば、景気の良かった頃に限って
「そんなに働くな」「もっとゆとりをもって
生きようとか」
働きすぎないように、企業側に対して労働者の
就労時間の見直しとかを求めても、収益を追求
する「企業」が、はい。判りましたと従うとは
到底思えず、結局、何が起こったかと言えば
「派遣」であったり、「サービス残業」終いには
「過労死」に至る最悪の情況を生んだだけ。

儲かるときに(儲かっているときに)そんなに
働いてどうする?もっと、ゆとりを持って余裕を
もって生きよう~等と、御上が言うには何か理由
とか、そうした「キャンペーン」を展開する背景
があったわけで・・・。

そうなると、現在の情況は、過剰設備、余剰人員の
整理が行われ、皮肉なことに、儲からないときに
なれば大企業であっても、工場のラインを止めざるを
えない情況になっていく。

つまり、生産活動を積極的に行うことは、大幅な
収益を得られるのと同時に、労働者の地位向上
権利の拡大とかを求めようとしても、そのことが
「会社」にとって、利益につながるかどうかと
考えた場合・・・多くの場合、抜け道や、代替えの
モノを用意しては、合法的な回避策が講じられる
のがオチ。

悲しいことに、世の中の流れと、その流れを無視し
止めようとする動きには何らかの意図が見え隠れし
儲かって笑いが止まらないという状態の時には
誰も何も言わないが、ひとたび、風向きが変わって
しまったときになって、初めて仕事のあることの
有り難みを知る。

求めていた「ゆとり」が、精神的なモノなのか?
それとも、物理的なものかは、別にしても
働くべき時に、わざわざ「規制」をかけてまで
制限しようとしたのだから

いかに、当時の政府が「変」だったのか?
今にして思えば、不思議な話だと思う。



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